3月29日、富山ブロックユニセフ平和委員会が主催し、富山大空襲の跡が残る場所をめぐり平和について考える企画を行いました。当日はあいにくの雨でしたが、組合員親子を中心に14名が参加し、歴史教育者協議会の松浦 晴芳さんにガイドしていただきながら富山市内をめぐりました。
参加者の中には、「両親がともに県外出身者のため、富山のことをもっと知るきっかけにしたい」という中学一年生のお子さんや、「小学校の授業でちょうど大空襲について習ったので、復習を兼ねて現地をめぐりたいと思った」という親子も。
バスの車内で松浦さんから富山大空襲の概要や、当時の時代背景などをお聞きしながら、富山大空襲の跡が残る場所に向かいます。
最初に訪れたのは豊田地区の住宅地の中にある「平和祈願之碑」です。この場所には富山大空襲が起こる前の7月26日、当時米軍の原爆投下の予行演習のため、長崎に投下された原爆と同じ重さ・形の巨大爆弾が「模擬原爆」として投下されました。
石碑はこの空襲でご家族を亡くした方が自ら建立されたそう。亡くなった方々の当時の様子や空襲がもたらした惨状について松浦さんから教えていただいた後、参加した皆さんは石碑に刻まれた平和への切実な思いを読み上げました。
続いて富山城址公園に向かい、建立されている「戦災復興記念像(天女の像)」のお話を伺いました。この像には富山大空襲によって市街地が一夜にして焦土になってしまったこと、多くの市民が亡くなり悲惨な状況から富山市民の熱い想いで復興が進んだことが記されています。参加者は松浦さんの解説を、資料を見たりメモを取ったりしながら真剣な様子で聞いていました。中には、「城址公園は何度か来ているが、このような像があることは知らなかった」という声もありました。
その後、富山大空襲によって破損した跡がそのまま残る貴重な遺構を見て回りました。松川岸にある常夜灯は大空襲の影響で大きく欠け、当時の状態のまま今も残っています。また、旧官立富山薬学専門学校の門柱や、大法寺の梵鐘、応声寺の碑文の読めなくなった石碑などを訪れました。
様々な富山大空襲の跡をめぐりながら、松浦さんは「富山大空襲だけに注目するのではなく、この空襲が起きてしまった経緯など戦争全体を考えてほしい」と繰り返し語られました。「戦争は自然災害ではない」と松浦さん。改めて、平和の大切さを忘れてはならないと痛感する機会となりました。
参加者の感想【参加人数14名】
- ニュースを見ていても詳しくは知らなかった富山大空襲について、規模などを実際に見ながら知れてよかった。大人になるとなかなか学ぶ機会がないのでいい機会でした。
- 日常の生活エリアに大空襲の痕跡があることを初めて知りました。改めて戦争というものを子どもと一緒に考えるいい機会になったと思います。
- 親が富山大空襲の被災者ですが、被災地を見て丁寧な説明を聞くことができ、大変勉強になり、感慨深いものがありました。