3月8日(土)ボルファートとやまにて、東日本大震災・福島第一原発事故で大きな被害が発生した福島県の現状について学び、今後の支援のあり方を考える機会として、「福島の今を知る報告・学習会」を開催しました。
組合員・役職員の48名が参加し、現在の復興状況や震災・原発事故によって変わってしまったことを、実際に被災地で生活している方の視点から学ぶことができました。
まずは、みやぎ生協・コープふくしまの宍戸義広さんが『震災・原発被害から14年、ふくしまの今』と題して講演されました。

みやぎ生協・コープふくしまの宍戸義広さん
宍戸さんは震災・原発事故から14年が経過し、放射性物質の汚染による影響で12市町村に出されていた避難指示が7市町村の一部が帰還困難区域となるまで減少したこと、避難者は事故当時の約17%に減少したことを示された一方で、被災地域の人口が減少し帰還者は高齢者ばかりという苦しい現状を語られました。
また、福島第一原発の廃炉計画の現状についてもお話され、燃料デブリ(溶けた燃料とガレキ等が固まったもの)の取り出しはほとんどできていないこと、中間貯蔵施設の除染土の処分や廃炉完了も見通せていないと説明されました。
最後に宍戸さんは、大切にしていきたいこととして「福島で起きた問題を日本全体の問題としてともに考えていくため、このような学習会で理解を深めていきたい」と締めくくられました。
続いて、『原発事故の避難から帰村、いま想うこと』と題して、現在、福島県相馬郡飯舘村で暮らしておられる語り部の佐藤美喜子さんと佐々木千榮子さんが講演されました。

講演していただいた佐藤美喜子さん
被災当時の飯舘村では、放射線量を伝えられず「ただちには避難しなくて大丈夫」と言われていたため、原爆20km圏内に住んでいた避難者たちを保護していたそう。しかし、飯舘村も本来であればすぐに避難しなくてはならない放射線量であり、1か月後に全村避難指示が発令されました。
その後、仮設住宅で6年間も生活が続くこととなり、「避難生活によって家族や地域がばらばらになってしまった」と佐藤さんは語られました。以前は6,000人の住民がいた飯舘村は現在1,500名程度に減少し、村に定住せず通っている人も多いため、夜にはもっと人が減ってしまうそうです。
「戻ってきた高齢者たちも、長い期間離れていたことによって以前のような関係には戻れず、孤独を感じています。形あるものの復興だけでなく、心の復興も必要です。人と人のつながりや自然環境がもとに生活に近づき、心の安らぎを得られるようになることで心も復興できるはず」とお話されました。

講演していただいた佐々木美榮子 氏
飯舘村で農家レストランを営業している佐々木さんは、ご自身やご家族の病気で苦労しつつも、やっと開業したばかりのお店を手放して避難することになった当時の状況を、時折声を詰まらせながら語られました。避難指示が解除された後、「お客さんは来ないと思ったが、みんなが戻ってきたら集まれる場所をつくりたい」とレストランの再オープンを決意されたそう。
「お店で出す野菜の放射線量を気にしたり、村に戻ってきたけれど頭のどこかではいつも放射能を気にしている。お店も再オープンしたけれど、長期間の避難生活によってみんなの心がばらばらになってしまい、なかなか以前のように集まって楽しい時間を過ごせないでいます」と佐々木さん。
実際に被災地に戻って生活している方からのリアルな声から、まだまだ震災・原発事故の影響は強く残っていることがわかりました。
その後、昨年7月に行われた福島復興視察交流ツアーに参加された組合員から報告があり、当日の様子を写真とともに紹介していただき、そのときに感じたことを語っていただきました。

ツアーの報告を真剣に聞く参加者の様子
浪江町にある東日本大震災慰霊碑の視察をした際には、「15mを超える大津波のあとに原発事故が発生し、翌日から予定していた救助の予定が延期されてしまったと知り、救助関係者は非常に無念だっただろう」と現地で思いを馳せたことを話されました。
ツアーに参加したことで、福島の問題を「自分ごととしてどう”備える”か」「我がこととしてどう”伝える”か」を考えるきっかけになったと報告を締めくくられました。
とやま生協は、被災された方々の”忘れないで”という想いを受け止め、これからも福島に寄り添い続けます。
参加人数 48名
参加者の感想
- 宍戸さん、佐藤さん、佐々木さんがお元気で、富山に来ていただき、うれしさと感謝でいっぱいです。お話を聞き、胸が熱くなりました。そして、福島の被災された方々の心のキズや、福島に関連ある全ての方々のつらさを思うと、涙が出ました。いつまでも、何か元気になっていただける支援をしていきたいと思いました。
- こちらに来て良かったと思いました。富山に居ると報道されなくなると忘れがちになります。常日頃から福島そして能登のことを思いながら生活していきたいと感じました。周りの人達とも話に出して忘れずにいたいと感じました。
- 住み慣れた地域から離れて仮設住宅や避難場所での生活、慣れない生活での不眠、睡眠導入剤を使用して眠ることの辛さを聞き、何気なく過ごしている毎日、平穏な日々がどれだけぜいたくな事かと思いました。
- すっかり忘れかけて来た昨今、こんな機会を持てたことは、大変有意義なことと思います。特に福島は原発という事故が起き、生活が一変したことに…多くの方に再び学びかえしてもらいたいと思います。