戦争も核兵器もない世界をめざして、現地で被爆の実相や被爆者の想いに触れる「ピースアクションinヒロシマ」が4年ぶりに開催され、全国の生協から参加者が集いました。とやま生協から2組4人が代表として参加しましたので報告します。
<8月4日(金)午後:全体で学習会>
会場には全国から組合員と子どもたち約150人が集まりました。
最初に平和ガイド(生協ひろしま組合員・碑めぐりガイド代表)の新谷美樹子さんのご案内で遺構・慰霊碑について学習した後、生後9カ月のときに爆心地から3㎞の自宅で被爆された佐久間邦彦さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)のお話をききました。
被爆直後の惨状や慰霊碑に込められた願い、被爆者の苦難(身心の後遺症、経済的困窮、何年も後に放射能が引き起こす病気など)の歴史を直接おききし、会場の子どもたちは真剣にメモをとりながら聞き入っていました。
「戦争は始めた人よりも弱いものに被害が及び、子どもの未来を奪う。困難な道のりかもしれないが核兵器廃絶に向けた運動を一緒に続けていくことが必要。」と佐久間さんが強く訴えられたことが印象的でした。
<8月4日(金)午後:袋町小学校平和資料館見学>
爆心地から460mの位置にあった袋町国民学校では教職員・児童ら160人全員が直撃を受け、生き残ったのはわずか数人でした。
被爆後は救護所として使われ、現在は「袋町小学校平和資料館」として被爆した鉄筋校舎の一部が残されています。焼け焦げた壁に書き込まれた家族を探す伝言や、熱で形が変わってしまった窓や扉などを見学しました。
<8月5日(土)午前:広島平和記念公園>
前日学んだことを思い出しながら、広島平和記念公園の中を巡りました。
原爆の投下直後だけでなく、被爆から何年も経ってから白血病で多くの方が亡くなられています。
2歳で被爆し10歳で白血病を発症した佐々木禎子さんは、「生きたい」と一心に折り鶴を折りながら12歳で亡くなりました。原爆で亡くなった子どもたちを慰霊し、平和を築くための像を作ろうと、禎子さんの同級生たちが募金運動を行ってつくられたのが「原爆の子の像」です。後方の折り鶴ブースには毎年1千万羽もの折り鶴が届けられています。
とやま生協組合員の皆さんから寄せられた折り鶴も奉納してきました。
7万人を超える無縁仏が眠る原爆供養塔や、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、原爆死没者慰霊碑などを参拝した後、広島平和記念資料館の見学へ。
国内や海外からも大勢の方が見学に来られ、館内がごった返す中、展示解説や焼け焦げた遺品から原爆の凄まじさと被害の大きさを学びました。
「核兵器は2度と使われるべきではない」ということは被爆者だけでなく世界の人々が一致できる願いです。一方で、現在は核兵器保有国や核弾道の数が増え、核兵器使用の脅威が高まっています。
ヒロシマの地を訪れ、「核兵器廃絶は無理だ」と諦めるのではなく、2度と核兵器による被害者を出さないためには核兵器廃絶を実現させることが必要で、そのために何ができるのかを考え、発信し続けることの大切さを学んだ2日間でした。
参加者の感想文を一部抜粋して紹介します
常田 真緒里さん(小6)
8月4日から5日の2日間、ピースアクションinヒロシマに参加しました。
(中略)
佐久間邦彦さんのお話で、「戦争は始めた人より弱い者に被害が及ぶ」、そして「何より子どもの未来を奪う」、「その被害と責任は、國人が負わされる」、「戦争と核兵器は人の手で始められ作られる」と聴いて、とてもこわかったし、心に残りました。
(中略)
平和の灯(ともしび)は雨の日でも消えることなく、火が消えるのは全世界から核兵器が無くなったときだそうです。広島平和記念資料館も見学し、当時の原爆のすごさや人々が受けた被害を写真や絵や残された遺品から感じました。2日間の体験で広島に行って自分で見たり、お話を聴かせてもらってとても勉強になりました。戦争や核兵器はとてもこわいです。多くの人の命が奪われたり、ケガをしたり、その後の人生も大変だったと思います。平和が一番いいです。私たちは、このようなことが繰り返されないように、平和とは何かを考え続けていきたいと思います。
新垣 咲來さん(小4)
私は、8月4日・5日「ピースアクションinヒロシマ」に参加しました。参加のきっかけは、現在、世界では戦争をおこない多くの死者を出している国があります。多くのニュースや新聞で、悲惨な映像や画像を目にしますが、平和な日本に住む私にとって、どこか遠くの出来事のように感じています。しかし、78年前に日本も戦争をしていたと知り、戦争の事について調べてみたいと思いました。 そこで、「ピースアクションinヒロシマ」に参加し、実際に戦争について学んできました。
(中略)
私は、広島へ行き、被爆者の方の講演を聞いたり、平和記念公園を見学したりしてきました。その中で、原子爆弾によって多くの方が亡くなり、現在もなお被害に苦しんでおられる方が居ることを知りました。戦争は、終わったと思っていましたが、戦争による苦しみは、まだ続いており、決して〝終わった〟わけではないのだと思いました。
また、原子爆弾によってボロボロになった原爆ドームを見て、原子爆弾の威力にビックリしました。
世界では、まだ戦争がおこなわれている国がありますが、戦争によって苦しむ人がいない世界になって欲しいと思いました。